子どもには、自分らしく安全に学ぶ権利がある。

あなたには、自分らしく、安全に、学ぶ権利がある。

学校は、子どもたちが安全に、
自分らしく学ぶことができる場所として、
日本の国が用意しているところ。

いろんな大人が、
子どもたちが今と未来を自分らしく、
幸せに生きれるように。

そんな願いと共に、学校や教材や、あらゆるものを用意して
プレゼントしてくれている。

学校があわないから、学校を離れる。
居場所がないから、学校にいれない。

あなたが、学校から離れて、
学びを止める必要なんてない。
(ただし、やれること全部やりきって、それでも現実が変わらなければ、離れたほうがいい。)

子どもが、安全に、自分らしく学びを進めていくことが
できるように、寄り添って、考えて、協力していくのが、
周りにいる大人のはず。

子どもが、自分らしく、学ぶこと、教育を受けることは、
とても大切な、そして大きな権利。

それがどういうことかを、
学ぶことも大切なこと。
知らずに、手放しちゃ絶対にダメ。

権利だから、
それが守られていないならば、
ちゃんと守られるように行動していく必要がある。

子どもが一人でできないときは、
大人が一緒にするし、必要な時は、守る。

でも、大人だけでは、足りなんだよ。

あなたの素直な感性と声が必要で、
どう感じているか、どうしたいのか、
それからすべてが始まっていく。

あなたのことは、あなたしかわからないから。
大人は、サポートでしかないのだから。

だから、感じたことや、違和感は、
ちゃんと言葉にして、何度もし続けたらいい。

自分のペースを大事にしていい。
わからないときは、一緒に考えてみよう。

一人でわからないときは、
誰かと対話して、一緒に考えてみたら、
必ず何かが見えてくるから。

みんなが、全力で、あなたを応援している。

でも、大人はいつも正しく対応できるわけではなくて、
たくさん間違うことがあるから、
不快な対応や言動、おかしいな?と思うことがあるかもしれないことは、心にとめておいて。

あなたの自分らしく過ごし、学ぶ権利を
あなたの中心に据えて、1つずつ創っていこう。

公立の学校へと向かわせるにあたって、
長男にも、次男にも、同じ話をしてきた。

最初はわからなかったであろう話も、
何かあるごとに、ここに立ち戻って話すから、
少しずつ、少しずつ、行動も伴って、
何かを掴んできているように思う。

特に次男は、
この部分に特に敏感だからこそ、
理解がついてきた今、いろんなことが変わってきた。

慣れたというよりも、
自分が何をすればいいのかを、
自分なりに考えられるようになったんだと思う。

学校での生活も、
自分が学ぶということも、
自分のこととして、考えられるようになったのかな。

学校のルールや生活、価値観、リズム。

それを、理解した1学期。
それを踏まえたうえで、
自分の状態をより繊細に感じたうえで、
自分の行動を決めるようになった2学期。

自分の安心を大事にしていいんだよね。
そう言っていた2学期はじめ。

それが、確信できるようになってから、
自分の意志と選択で、教室に行くことにこだわった。

裏を返すと、無理やりいかされることに、
断固として「NO」を表現した。
僕は、ちゃんと自分で決めていく。

そんな紆余曲折を経て、
学校という場所で、その価値観と社会の中にいながら、
自分という存在そのままで、
自分なりに、学校で1日いい状態を過ごしはじめているらしい。←今ココ。

学校ができることの中で、
たくさんの工夫とアイディアで
いろんなことが解決していっている。

たくさんのみなさんのサポートにただただ感謝です。

自分で納得して、
自分で考えて、
自分で決める。

人と違うことを選んでいる分、
学習のスピードや体験の量には、違いが生まれている。

でもね。
自分のペースで、自分らしく前に進むことができれば、
必ずすべては、「できた!」に変わっていく。

学校という学び場を
これからも、
自分らしく、たくさん活用できるといいね。

日本の学校や教育を批判することよりも
オランダと日本を比べることよりも

今、日本にある場所で、
頑張って教育を進めてくれている人たちと一緒に、
アイディアを出し合い、できることを1つずつ、1つずつ。

繊細な子が、
どんな場所でも
自分のまんま、おだやかに過ごす。

少しでもいい方向へと進めていきたい。